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New Year's Concert ニューイヤーコンサート / ニューイヤー・コンサート2022 ダニエル・バレンボイム&ウィーン

商品について

JANコード
0194399625491
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発売日:2022年02月04日 / ジャンル:クラシック / フォーマット:BLU-RAY DISC / 組み枚数:1 / リージョンコード:ALL / 映像サイズ:ワイドスクリーン / 色:カラー / レーベル:Sony Classical *cl* / 発売国:Europe / 商品番号:19439962549 / アーティストキーワード:New Year's Concert New Years Concert NewYear'sConcert NewYearsConce・・・
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出荷目安の詳細はこちら商品説明新たな年を寿ぐ、ウィーン・フィルの華麗なワルツとポルカ。毎年1月1日に行なわれるウィーン・フィルのニューイヤー・コンサート。クラシック音楽の中でも最も有名で、ウィーンの誇る黄金のムジークフェラインザールからTVとラジオを通じて世界90カ国以上に放送され、5千万人が視聴するというビッグ・イベント。1939年に始まる75年以上の歴史を誇るこのコンサートでは、音楽の都ウィーンを象徴するシュトラウス一家のワルツやポルカが演奏され、その高額のチケットは世界一入手困難と言われています。 2022年は、今ウィーン・フィルと最も密接な関係にあるダニエル・バレンボイムが2009年、2014年以来、8年ぶりに登場。バレンボイムはコロナ禍で演奏休止を余儀なくなくされたウィーン・フィルが最初に迎えた指揮者でもあります。2022年に80歳をむかえる巨匠へのウィーン・フィルからのプレゼントでもありましょう。 演奏曲目は、定番の『美しく青きドナウ』『ラデツキー行進曲』などに加えて、2021年のさまざまなアニヴァーサリーなどテーマ性を織り込んだ多彩な作品で構成され、新鮮味十分です。ダニエル・バレンボイムは、1942年アルゼンチン生まれの指揮者・ピアニスト。7歳で天才ピアニストとしてデビュー。1960年代からは指揮者としての比重を高め、世界各地のメジャー・オケに客演。パリ管やシカゴ響の音楽監督を経て、ベルリン国立歌劇場音楽監督。パレスチナとイスラエルの若手音楽家で「ウェスト・イースタン・ディヴァン管」結成。(輸入元情報)【収録情報】【第1部】1.フェニックス行進曲 Op.105(ヨーゼフ・シュトラウス)2.ワルツ『フェニックスの羽ばたき』 Op.125(ヨハン・シュトラウス2世)3.ポルカ・マズルカ『海の精セイレーン』 Op.248(ヨーゼフ・シュトラウス)4.ギャロップ『小さな広告』 Op.4(ヨーゼフ・ヘルメスベルガー2世)5.ワルツ『朝刊』 Op.279(ヨハン・シュトラウス2世)6.ポルカ・シュネル『ちょっとした記録』 Op.128(エドゥアルト・シュトラウス)【第2部】7.オペレッタ『こうもり』 序曲(ヨハン・シュトラウス2世)8.音楽の冗談『シャンパン・ポルカ』 Op.211(ヨハン・シュトラウス2世)9. ワルツ『夜遊び』 Op.466(カール・ミヒャエル・ツィーラー)10.ペルシャ行進曲 Op.289(ヨハン・シュトラウス2世)11.ワルツ『千一夜物語』 Op.346(ヨハン・シュトラウス2世)12.ポルカ・フランセーズ『プラハへご挨拶』 Op.144(エドゥアルト・シュトラウス)13.性格的小品『家の精霊』(ヨーゼフ・ヘルメスベルガー2世)14.ポルカ・フランセーズ『ニンフのポルカ』 Op.50(ヨーゼフ・シュトラウス)15.ワルツ『天体の音楽』 Op.235(ヨーゼフ・シュトラウス) アンコール  【アンコール】16. ポルカ・シュネル『狩り』 Op.373(ヨハン・シュトラウス2世)17. 新年の挨拶18. ワルツ『美しく青きドナウ』 Op.314(ヨハン・シュトラウス2世)19. ラデツキー行進曲 Op.228(ヨハン・シュトラウス1世) ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ダニエル・バレンボイム(指揮) 収録時期:2022年1月1日 収録場所:ウィーン、ムジークフェラインザール(ライヴ) *日本ヨハン・シュトラウス協会刊の『ヨハン・シュトラウス2世作品目録』(2006)、『ヨーゼフ・シュトラウス作品目録』(2019)に従っています。 *1,3,6,9,13,14=ニューイヤー・コンサート初演奏の作品(輸入元情報) ブルーレイディスク対応機器で再生できます。 ニューイヤー・コンサートの歴史と指揮者たち創設者のクラウスに始まり、クリップス、そして25年にわたってヴァイオリンを弾きながら指揮したボスコフスキーの時代にTV中継が始まって世界的に知られるようになったニューイヤー・コンサート。ボスコフスキーの後は、マゼール、カラヤン、クライバー、アバドなどウィーン・フィルと関係の深い指揮者が登場。ヨハン・シュトラウス・ファミリーのワルツやポルカを中心に、ランナー、モーツァルト、シューベルト、ウェーバー、ブラームス、ベルリオーズ、スッペ、オッフェンバック、チャイコフスキー、ヴェルディ、ワーグナー、そしてR.シュトラウスにいたる作曲家の様々な作品が取り上げられています。定番のアンコールである『美しく青きドナウ』と『ラデツキー行進曲』が固定化したのは1958年のこと。1961年からはORF(オーストリア放送協会)が毎年生中継および録音を行なうようになりました。ニューイヤー・コンサートの実際のライヴがレコード化されたのはボスコフスキー指揮の1975年のことで、ボスコフスキーによる最後の出演となった1979年にはデジタルでライヴ収録され、全曲がレコード化されたことで大きな話題となりました。とはいえ1990年代まではコンサートの演目全曲がCD化されることはほとんどありませんでしたが、最近は全演目が録音後数日でCD化され、映像もDVDおよびブルーレイとして発売されるようになっています。→ニュー・イヤー・コンサート検索クレメンス・クラウス [1893-1954 オーストリア]1939 1941 1942 1943 1944 1948 1949 1950 1951 1952 1953 1954 「ニューイヤー・コンサート」は、クレメンス・クラウスが、1939年の大みそかにその原型となる演奏会を指揮したのが最初とされています。翌年度の1941年からは元旦の演奏会が恒例となり、クラウスは連合軍に指揮を止められていた1946年と47年を除き、亡くなる年の1954年まで「ニューイヤー」の指揮台に上り続けました。この1954年のニューイヤー・コンサートはレコードに記録された最も古い「ニューイヤー」として知られています。創始者クラウスが指揮した最後の「ニューイヤー」という意味でも貴重な録音ということができますが、なにより凄いのは演奏そのもの生命力。ポルカなどクライバーよりも速い猛スピードぶりです。また、このホットな演奏をいっそう雰囲気豊かに引き立てるのが、曲間に挿まれる女性アナウンサーによる案内だったり、聴衆の拍手だったりするわけですが、それらが現在定着しているスタイルとは少なからず異なっているのも興味深いところです。例えば「春の声」では開始と同時に自然に大きな拍手が沸き起こり、クラウスは一度演奏を止めてあらためて開始していますし、「ラデツキー」には手拍子がありません。また、同じ曲を繰り返す、字義通りの「アンコール」が5曲もあります。ヨーゼフ・クリップス [1902-1974 オーストリア]1946 1947 ヨーゼフ・クリップス[1902-1974]はウィーン生まれのオーストリアの指揮者。ワインガルトナーらに師事し、1921年、19歳でワインガルトナーの助手、コレペティトゥーアとしてウィーン・フォルクスオーパーと契約。当時のフォルクスオーパーは『サロメ』や『トスカ』など新作オペラ上演にも熱心な通常のオペラハウスで、クリップスはここで指揮助手のほか、歌手のコーチや合唱の指導もおこなって経験を積み、その後、25歳の若さでカールスルーエ国立歌劇場の楽長に就任、1935年には33歳でウィーン・アカデミーの教授となっていました。続くヴィリー・ボスコフスキー [1909-1991 オーストリア]1955 1956 1957 1958 1959 1960 1961 1962 1963 1964 1965 1966 1967 1968 1969 1970 1971 1972 1973 1974 1975 1976 1977 1978 1979 1909年6月16日、ウィーンに誕生。ウィーン音楽アカデミーに学び、1932年にウィーン国立劇場管弦楽団に入り、1939年にコンサートマスターに就任。ウィーン・フィルには1970年まで在籍し、この間「ボスコフスキー四重奏団」「ウィーン八重奏団」「ウィーン・フィルハーモニー四重奏団」を組織、室内楽の活動もおこないます。 ウィーン・フィルによる「ニューイヤー・コンサート」への指揮者としての登場は、1954年に創始者であるクラウスの死去にともなう窮余の一策でしたが、ヨハン・シュトラウス2世のようにヴァイオリンをもち、弓で拍子をとり表情をつけ、コンサートは大成功。1970年にウィーン・フィルを脱退しますが、1979年まで「ニューイヤー・コンサート」の計25回も指揮台に立ち続け、その後は各地に客演活動を展開。1991年4月21日にスイスのナスティで死去。ロリン・マゼール [1930-2014 アメリカ]1980 1981 1982 1983 1984 1985 1986 1994 1996 1999 2005 1930年3月6日、パリ近郊で、ユダヤ系でロシア系の父と、ハンガリー系でロシア系の母の間に誕生し、ほどなくアメリカに移住。ピッツバーグで育ったマゼールは、幼少期から音楽的才能を示し、4歳でピアノ、5歳でヴァイオリン、7歳で指揮を学び、8歳でアイダホの大学のオーケストラを相手にシューベルトの『未完成』で指揮者デビュー。翌年にはニューヨークの世界博覧会に出演してオーケストラを指揮、天才少年指揮者として大きな話題となりました。続くヘルベルト・フォン・カラヤン [1908-1989 オーストリア]1987 1908年4月5日、外科医の父エルンストと母マルタの次男として、モーツァルトの故郷オーストリアのザルツブルグに生まれました。生年時の本名はヘリベルト・リッター・フォン・カラヤン。3歳のときにピアノを習い始め、4歳半で公開演奏をおこなうなど、当時はピアノの神童として騒がれていました。続くクラウディオ・アバド [1933-2014 イタリア]1988 1991 1933年6月26日、ミラノに誕生。父のミケランジェロ・アバドはヴァイオリン教師で作曲家、ジュゼッペ・ヴェルディ音楽院の要職を務めた人物で、ミラノで開催される「ミケランジェロ・アバド国際ヴァイオリン・コンクール」でも知られており、母のマリア・カメラ・サヴァニョーネはピアニストだったほか、兄弟や親戚も音楽家という一族。アバドは幼少から音楽を学び、19歳の時には父と交流のあったトスカニーニの前でバッハの協奏曲を弾いたりもしていました。その後、ミラノ音楽院で、指揮、ピアノ、作曲を修めた後、1956年からはウィーン音楽院でハンス・スワロフスキーに指揮を師事。1958年、タングルウッド音楽祭でクーセヴィツキー賞を受賞。1959年、トリエステ交響楽団を指揮して指揮者デビュー。続くカルロス・クライバー [1930-2004 オーストリア]1989 1992 個性的かつ衝撃的な演奏解釈でカリスマ的な名声を誇ったドイツ出身の指揮者。往年の大指揮者だった父エーリヒへの愛憎半ばする感情に由来するともされた、極端に神経過敏な性格から奇矯なエピソードにも事欠きませんでしたが、2004年、妻の出身地であるスロヴェニアのコンシチャという町で闘病の果てに亡くなりました。ズービン・メータ [1936- インド]1990 1995 1998 2007 2015 1936年ボンベイ生まれ。ウィーン、イギリスでキャリアをスタート。モントリオール交響楽団、ロサンジェルス・フィルの音楽監督を歴任、1978年、ブーレーズの後任としてニューヨーク・フィルの音楽監督に就任。1985年にはフィレンツェ五月音楽祭管弦楽団の首席指揮者に就任、2004年、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団名誉指揮者。…